
■ 結論
『羊の国のイリヤ』(福澤徹三・朗読:広瀬竜一)は、企業ものから裏社会へ大きく展開が変わる18時間49分の長編です。理不尽な展開が続く前半は聴いていてしんどく感じましたが、Audibleならではの「残り時間」の感覚に支えられ、最後まで聴き通せました。
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■ 作業との相性
標準の1.5倍速でCADを動かしながら聴きました。序盤は食品偽装をめぐる企業小説で、こうした企業ものは好きな題材なので入りやすく聴けました。ただ、主人公・入矢悟が左遷など自分ではどうにもならない環境に追い込まれていく場面は、聴いていてしんどく感じ、意識がそちらに引っ張られる瞬間がありました。
10章あたりから裏社会パートへと大きく雰囲気が変わりますが、入矢を中心に物語が進むため、登場人物が増えても離脱することなく、作業をしながらでも話についていけました。前半と後半で展開が変わるため、18時間49分という長さでも単調には感じませんでした。一方、後半には特殊清掃や死体処理などグロテスクな描写もあり、詳細検討のような集中を要する作業では、この場面で手が止まることがありました。
■ Audibleで聴く
ナレーターの広瀬竜一は、物語の重さとよく合う低めの落ち着いた声で、1.5倍速でも聞き取りにくさはありませんでした。会社関係者や裏社会の人物など男性中心の重みのある場面が多い本作ですが、その分低めの声との相性がよく感じられました。この手の物語は女性人物の演じ分けで聴き心地が変わりやすいと思いますが、入矢の娘の声も自然で、聴いていて違和感がありませんでした。
『羊の国のイリヤ』はAudible(オーディブル)で18時間49分という長編です。Audibleでは本作の配信を確認できます。無料体験の条件は変わることがあるため、最新の内容は登録画面でご確認ください。
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■ 作品について
『羊の国のイリヤ』は、50歳の会社員・入矢悟が主人公の社会派サスペンスです。中堅食品メーカーに勤める入矢は、勤務先の食材偽装をめぐる内部告発に関わったことで会社から疑われ、子会社の食品工場へ出向させられます。工場では劣悪な労働環境やパワハラ、セクハラが横行しており、それを見過ごせず衝突した入矢の状況は、さらに悪化していきます。
やがて身に覚えのない事件で逮捕され、職も家庭も失っていく入矢。そんななか、娘が悪徳プロダクションのトラブルに巻き込まれます。娘を救うため、入矢はこれまでとはまったく異なる裏社会へ踏み込んでいくことになります。前半は企業を舞台にした社会派サスペンス、後半はノワール・クライムアクションへと大きく性格を変える作品で、著者の福澤徹三自身は本作を「正義とはなにかを問う物語」と説明しています。単行本は2020年に小学館から刊行され、472ページ、のちに文庫化されています。単独作品で、シリーズ作品ではありません。
■ 主な登場人物
- 入矢悟(いりや さとる):本作の主人公。50歳の会社員で、妻と大学1年生の娘がいる。食材偽装をめぐる問題をきっかけに人生が転落していく。
- 四科田了(しかだ りょう):冷酷非情な暗殺者。人生の底まで落ちた入矢と出会い、彼の価値観や生き方を大きく変えていく。
■ 「残り時間」がしんどい展開を支えてくれた
入矢が理不尽に追い込まれていく前半は、聴いていて正直しんどい場面が続きました。それでも聴き続けられたのは、Audibleならではの「残り時間」の感覚があったからだと思います。本なら残りページ数で先の展開を予感するところを、Audibleでは再生時間の残りとして体感します。まだこれだけ時間が残っているのだから、この先にきっと展開があるはずだと思えたことが、しんどい場面を乗り越える支えになりました。
実際、後半に入ると裏社会パートへと大きく舞台が転換し、それでいて前半の食品会社との関係も後になって出てくるつながりがありました。18時間49分という長さを、前半と後半で上下巻を聴いているような感覚で捉えられたのは、この作品ならではの体験だったと思います。
■ 四科田の名言「未来とは想像だ」に込められた意味
四科田は、人生の底まで落ちた入矢の前にヒーローのように神出鬼没で現れ、彼を助けます。都合がよすぎるのではと思う場面もありましたが、それでも印象的なセリフが多い人物でした。自分の人生をたった一人で観る映画に例える言葉や、人は誰しも優劣を競わずにはいられないという言葉が心に残りましたが、なかでも一番印象的だったのは「未来とは想像だ」という一言です。
入矢にとって、娘の未来を想像できることは、楽しみであると同時に心配でもあったはずです。それが、入矢を正義の側へ突き動かす力になっていたのだろうと感じました。自分自身も子どもが生まれてから、未来を想像できる楽しみを感じるようになりました。子どものためだと言いながら、結局は自分がやりたいことを選んでいる。子どもの世話を焼きたいのも、自分がそうしたくてしている。それが生きがいであり楽しみであり、自分にとっての正義なのかもしれないと、この作品を聴きながら考えました。
■ 「入矢」「四科田」という名前は何を意味する?
聴き終えたあとで気になったのが、この二人の名前です。作中では、四科田という名前が暗殺者を意味する「シカーリオ」に由来することが明かされます。一方、主人公の入矢という名前からは、哲学者レヴィナスが論じた「il y a(イリヤ)」も連想しました。レヴィナスの「イリヤ」は、主体や個人に帰属しない非人称的・匿名的な存在を表す概念です。
四科田の名前が持つ意味は作中で示されているものです。一方、入矢とレヴィナスのつながりは、あくまで聴きながら自分の中で浮かんだ連想にすぎません。福澤徹三がこの概念から名付けたと確認できる資料もありません。それでも、会社員・夫・父親という社会的な立場を次々に失っていく入矢の姿に「イリヤ」を重ねて読むと、興味深く感じられます。
著者自身は入矢を、物語の出発点にあたる「典型的な小市民、すなわち羊」として説明しています。ただ、実際に聴き終えてみると、入矢はその立場から大きく踏み外し、とても典型的な小市民とは言いがたい姿にまで変貌していきます。「羊の国」を社会の規範の中で従順に生きる世界と捉えるなら、入矢の歩みは、その羊の国から追い出され、外へ踏み出していく過程そのものだったとも言えそうです。そう考えると、初めから羊の国の外側にいた四科田は、入矢がやがてたどり着く姿を先取りして見せていた人物だったのかもしれません。
■ 文字でも読みたい人へ
『羊の国のイリヤ』は小学館から単行本として刊行され、472ページです。のちに文庫化されています。文庫版では『羊の国の「イリヤ」』という表記になっている場合もあるようです。
■ こんな人に
- 企業ものから裏社会へ大きくスケールが広がる長編を聴きたい人
- 18時間超でも展開がしっかり動く作品を探している人
- 50歳前後で、成人に近い子どもを持つ立場に共感しやすい人
- 多少のグロテスクな描写があっても問題なく聴ける人
一方で、特殊清掃や死体処理などのグロテスクな描写に抵抗がある人や、理不尽に追い込まれていく展開そのものがしんどく感じられる人は、聴くタイミングを選んだ方がよいかもしれません。18時間49分と長いですが、前半と後半で性格が大きく変わるため、上下巻のつもりで聴き進めると負担が少なくなりそうです。